みなさんハニョハセヨ。
一番おいしいものは
一番最初に食べてしまうに限る
と思っている
不肖長岡です。
年末年始と
久しぶりにゆったりとまったりしていた
不肖長岡ですが
新年の仕事始動とともに
これまた
テレビを見る暇もないスケジュールに追われております。
こういう生活から
脱却するのが
本年の狙いで。
最初から脱線しまくりです。
さてさて
昨日の夜ですが
またスゲー出会いがありましたので
ちょいと報告したいと思います。
ガキの頃から
プロ野球選手に憧れていた俺にとっては
とてつもなく緊張する出会いでした。
東京ヤクルトスワローズの金字塔
古田敦也氏でございますわ。
俺の顔が非常に気持ち悪いですが
(本当に美容院に行きたい・・・・。)
テレビで拝見する
古田さんそのままでございました。
つまり
よく言われる
テレビとプライベートとではギャップがある。
なんていう
中途半端なお方ではないということです。
セッティングをしてくださった
チャリティープラットフォームの
佐藤理事長が来ない間
初顔合わせの俺と古田さん二人の時間が続き・・・。
「何で目の前に古田さんがいるんだろう」
と
とにかくどぎまぎするしかない不肖長岡でした。
聞きたかったこと
知りたかったこと
会の趣旨とは大幅にずれまくる質問をしまくりましたが
全部
本当に面白く応えて下さり
心の大きさを感じたものです。
いやあ
トップアスリートって
人間的にも凄いですなあ。
口から生まれたといわれる長岡が
相槌打つばかりでしたから。
古田さんとも
シンクロにシティーはあってですね
2005年4月24日。
サムガク奇跡の一周年記念日に
古田さんは
2000本安打を記録したわけですよ。
捕手としては
セ・リーグ史上初の首位打者を取ったり
万年最下位的な印象が深かった
ヤクルトスワローズを
何度も日本一に導いた
「ミスタースワローズ」ですから。
スワローズや古田さんに感動するのは
連覇ではなく
翌年四位に終わってしまっても
また返り咲く。
諦めず
自分たちの信じた野球を
やり続ける。
その姿勢であります。
詳しくは
スワローズ関係
古田さん関係のHPをご覧くださいませ。
良くご理解いただけると思います。
そしてもう一人。
メディカルアスリートとして
トライアスロンのプロアスリートとして活躍されている
湯本優さんでございますわ。
俺が断念した?
トライアスロン。
本当は今年の二月に
トライアスロンに挑戦するつもりで
昨年
ラン&バイク&スイム
を練習しまくっていたのですが
そのお試しとして
夏に
一番苦手なスイムを
知多半島の海で実践した際
不肖長岡
死を覚悟しました。
本気で溺れそうになったのですよ。
それ以来。
プールに行くことさえ怖くなりまして
挑戦は
フェードアウトしていたんですが。
湯本さんが
「マラソンやるより10倍楽!」
とおっしゃるので
また挑戦してみようかなと
思い始めているところですが
どうなるかは分かりません。
とにかく
佐藤理事長
古田さん湯本さんと
日本を代表する方々と
新年会に混ぜていただけたことは
本当に光栄でしたし
なんか
いい年明けになったなあと
感動しておるわけです。
学園に戻ると
12回目のサムライフが始まっていました。
9名の全国から集まった
小中高生との期間限定の自由学校が始まりました。
子どもたちとの生活は
無条件にいいですね。
何とも元気になるものです。
彼らの顔を見ていると
心から幸せに生きて欲しいなあって
思うんですよ。
だから決まって
俺の授業は「命」「幸せ」に限定して行います。
子どもたちに授業する前に
ここ数日
改めて
命の大切さについて考えていました。
簡単に
「命は大切だ」とは言うことができても
本当に根っこから考えている人は
この国には少ないんではないかと
俺は考えています。
だから困っている人が多いんだと。
生き苦しんでいる人が多いんだと。
「命は大切。そんなことは当たり前」
ぐらいに
浅はかに考えて命を捉えると
とんでもないことになります。
根っこまで
深く自分の頭で考えることをしないと
その考え方に含まれる
欺瞞(ぎまん)にも気づくことはありません。
根っこまで考えたことのない人間が
「命の大切さ」
を教えようとしても
そんな話に信憑性がないのは当たり前だって思うわけです。
ちゃんと伝える為には
「なぜ命は大切なのか」という問い方ではなく
「なぜ人は命を大切なものと考えるのか」
という問いとして考え伝える努力をしなければならないってことです。
「命を大切なものと考える」
ことの理由は
人間は
「精一杯生きていたい」
「愛する人に生きて欲しい」
という
「生への願望」を持っているからです。
その
「生への願望」を叶えるために
人は互いの生を
命を
大切にしあうと思うんですね。
脳は単純に
願望つまり欲求を満たすことで「快」であることが出来る。
そこにつなげない限り
本当の理解には至らないと。
「生への願望」を大切にするということは
「やさしさ」や「思いやり」
といった
自分の人間性を大切にする・他人を尊重し大切にする行為です。
相手の存在を尊重し
命を大切にするのは自分自身のための行為です。
「生への願望」をもとにして
「命の大切さ」を語るということは"価値"を軸としていた考え方を
「願望」を軸とした考え方に転換するということです。
それは根拠を必要とする「義務」としての命の大切さから
「願望を源泉とする命の大切さ」へと
パラダイムをシフトさせるということです。
(パラダイムシフト=
その時代や分野において
当然のことと考えられていた認識や思想
社会全体の価値観などが革命的に
もしくは劇的に変化することを言う。)
「価値」を
人間社会の中でしか通用しない人間独自のものと前提すると
今までの「命の大切さ」は
根底から成り立たなくなります。
前提が替わっても成立し
誤謬も欺瞞も含まない「命の大切さ」として成り立たせようと思うなら
パラダイムをシフトさせるしかありません。
それは「大切にしないといけないから大切にする」という考えから
「大切にしたいから大切にする」という考え方への移行です。
願望を源泉として
「大切にしたいから大切にする」と言うとき
そこには誤謬も欺瞞も生み出されません。
矛盾もなく、根拠も必要ではありません。
生きることに理由なんてない。
大切にしたいから大切にする。
生きたいから生きる。
願望や欲求に基づいた
シンプルな考え方で
大切なことを教えていける学園。
そんなサムガクでありたいと
子どもたちの顔を見ながら思うのであります。