今日の授業では
谷川俊太郎の「生きる」という詩をもとに
自分たちの「生」について考えてみました。
出来上がった詩を読み込みながら
自分の「生きているということ」を
「言葉」として生み出してもらいました。
詩を作る前に、少しばかりヘビーな話題を提供しましたが、それもまた俺たちの生活の中に「リアル」に存在するものです。
決して目をそむけてはならないものでもあります。
「漠然と死を意識する」よりも
「明確に死を自覚する」ことによって
今の「生きる」を真正面から捉えることができるのではないか。
俺はそう思っています。
「生きながら、終着としての死を考える」のではなくて
「死から生き方を考える」ということ。
生徒たちは多少なりとも感じることができたのではないでしょうか。そう信じています。
授業の最後にはみんなのオリジナルの作品を音読してもらいました。
なんだか涙が出ました。
鳥肌が立ちました。
一人一人の選択した言葉が、まさにその人間の「想い」を表現していて
それがあまりにも「丸裸な言葉」だったからこそ
心が揺れ動いたのかもしれません。
詩が存在し続ける理由が、よくわかります。
詩と聞くとなんだか照れくさかったり
恥ずかしかったり、一歩引いてしまいがちですが、実は人間は常に「詩」によって癒され、そして歓喜しています。
町を歩けば、今やヘッドフォンやイヤフォンをしていない人を見つける方が難しいぐらいだし、車の中では常に音楽が流されています。
その音楽、特に歌には全て詩が使われている。口に出したら顔から火が出るような、くっさい言葉までも、平気で口ずさんでいる場合もあります。
元々人間は
とても詩に依存して生きているものなんですね
君たちが臆せずもせず、立派に自分の作った詩を読み上げる姿は
とにかく素敵だと俺は思う。そんな生徒たちが通うこの学校もまた素敵なのかもしれませんね。